2nd annual Kurt Caselli ride day

10006038_311751409034042_1878475719785796828_o

2014年12月5日、カリフォルニアのグレン・ヘレンで、”2nd annual Kurt Casalli ride day”が開催されます。昨2013年11月15日、Baja1000出場中の単独事故で急逝した、カート・キャッセリを偲ぶイベント。参加料の20USDは、”Kurt Caselli Foundation”に寄付されるとのこと。

Kurt Caselli Foundation(カート・キャッセリ基金)とは
カートの婚約者を含む遺族が立ち上げた基金で、ライダーの安全と、ライダーとその家族のクォリティオブライフの向上に貢献することを目的としたもの。ライダーに対する安全意識の啓蒙、プロテクションなど安全装備の研究開発、また引退後のライダーにたちが、ライダーの教育などに参加できる機会を作ること等々の活動を行っている。
http://www.kurtcaselli.com/

以下、関連して過去のメールマガジンより

2013年11月18日のメールマガジンより
●カート・キャッセリ BAJA1000において事故死
11月15日。BAJA1000に出場したカート・キャッセリ(USA/KTM)がレース中のアクシデントにより死亡した。午後4時30分頃、ゴールまで約160kmの付近を、首位または2位で走行中、高速からのクラッシュだったと見られている。当初「観客が作った障害物が原因」という報道もされていたが、最初に現場に到着した人たちによると、そこは観客がいるような場所ではなく、”罠”のような障害物も見られなかったとのこと。レースはJohnny Campbell Racing Honda team のTim Weigand、Colton Udall、David Kamo、Mark Samuelsのチームが優勝した。18時間29分14秒。平均時速は47.76マイル。

カート・キャッセリは1983年生まれの30歳。2000年のISDEグラナダ大会に初出場、2003年のISDEブラジル大会にUSAジュニアトロフィチームの一員として出場し、トップクラスのタイムを連続して記録し、一躍世界のエンデューロシーンにデビュー。その後、KTMサポート契約、USファクトリー契約へと進み、エンデューロ世界選手権にスポット参戦してトップ5のリザルトを残すなど、世界レベルのライダーとしての地位を確立するが、その後もUSを拠点として活動を続ける。WORCS、AMAヘアアウンドハウンドでのタイトル、またISDEワールドトロフィチームではリーダー格としてチームを牽引してきた。2011年から、BAJA1000での優勝を目標としてデザートレースに活動をシフト。また2013年のダカールには、直前に怪我をしたマルク・コマに代わって、急遽シートを得て出走。2014年も出場を予定し、FIMクロスカントリーラリー世界選手権に出場していた。

※その後、KTMファクトリーチーム等の調査によって、事故は人為的な工作物が原因のものではなく、他車との接触でもないと判明。マシンに残った傷などから、動物との接触があった可能性はあるが、ただし、それが事故の直接の原因となったかどうか断定できないとしている。

2013年11月19日のメールマガジンより
●コラム メルマガ版 Parc Ferme  「USAトロフィチーム」 春木久史

 2010年のISDEメキシコ大会でのこと。プレスルームには、毎日、いろんなインフォメーションが掲示板に貼られている。その日の夕方は、USAチームによる記者会見(プレスカンファレンス)が行なわれると出ていた。ぼくは日本のクラブチームのライダーたちの撮影を少し早めに切り上げ、記者会見の会場に向った。ステージがあり、その前に25人ほどは座れるようにテーブルが用意された広い空間。早めについたぼくは、コーヒーなどを飲みながら待っているのだが、ほかに誰もやってこない。17:30だったか、予定の時間になっても、顔見知りのジャーナリストの誰もこなかった。「あれ? 日時を間違ったかな?」あるいは予定が変更となったのか。予定の変更などこの種ことでは日常茶飯事なので腹もたたないが、しかしなんのアナウンスもないとは…。すると、USチームのマネージャーがひとりやってきて、こういった。「君は日本のジャーナリストだね。まいったな。他に誰も来ていないのか。でもライダーたちはもう来ているから、これからインタビューしてくれないか。ここじゃあなんだから、プレスルーム行こう」。合同記者会見は、急遽、独占単独インタビューになってしまった。「えっ、マジで?」。 緊張した。プレスルームで待っていたのは、デストリィ・アボット、ネイサン・ウッズ(翌年、WORCSのレース中の事故で亡くなってしまった)、マイク・ブラウン、そしてカート・キャッセリ。ウッズのことはあまり知らなかったが、アボットはフリーライディング系のビデオのライダーとして目にする機会が多く、そのスタイルに憧れていたし、キャッセリ、ブラウンのことは言わずもがな…。あまりに緊張して、声がうわずったほどだ。4人には順番に一人ずつ、大体同じような質問をした。走りなれている西海岸のWORCSのトラックと、今回のメキシコのテストは似ているのではないか? とか、今年のオーガナイズはどうか? など。大体、答えがわかってしまいそうな平凡な質問と稚拙な英語に、相手は血圧を下げてしまうのではないかと思ったが、みな、本当に真剣に耳を傾けて、応じてくれた。その音声が記録されたiphpneのデータはぼくの宝物になったのだが、そのうちの二人が故人になるとは、もちんろ思いもよらないことだった。

概してファンにも取材者にも、優しく、真摯な態度で応じることは、USのライダーたち(あるいはスポーツ選手)の好ましい特徴のひとつだと思うのだが、その真面目さは、ISDEそのものに対する態度、取組みにも通じているのではないか、とぼくは以前から思っている。アメリカにとって、ISDEは、人気のあるなしにも関係しているが、ビジネスとはかけ離れた存在で、その点、ヨーロッパのライダーとは意識が違う。また、ISDEの持つ歴史、伝統、理念というものも、地理的・文化的に離れているだけに蒸留、純化されて伝わり、解釈されている側面があると感じられるのだ。例えるならば、中国から伝わった禅が、日本では土着し一般には風俗、儀式的なものになってしまいながら、遠く離れた欧米でむしろ高度な精神文化として理解されているように…。それを象徴しているのが、映画、オンエニイサンデーにおけるISDEの描かれ方だ。そこに見られるのは、派手なライディングのシーンではなく、伝統、歴史、そしてアマチュア精神、ストイシズム。やかでそれはマルコム・スミスからランディ・ホーキンスの時代に受け継がれ、そしてカート・キャッセリたちがバトンを受け取り、彼らはただ精神性だけではなく、ヨーロッパの強豪たちにひけをとらない競争力をも身につけ、いよいよ世界一になろうとしていた。メキシコ大会は、その途上にある6日間だったが、しかし、この記者会見にぼく以外の誰も取材に来ていなかったことでもわかるように、まだまだ世界のエンデューロシーンでは脇役に過ぎなかった。彼らにとっても、なんとも情けない出来事だったろう、この「記者会見」は。だが、そうした口惜しさを下地にして前進する強さも、彼らの美点なのではないかと、今は思える。

そして今年(2013年)のサルディニア大会での活躍に見られるように、USトロフィチームは、近い将来にワールドトロフィを獲れるだろう、と予測できるまでの強さを身につけていた。なんともいいようがないが、カートを失っても、まだ戦える層の厚さまでも備えている。それは、カートの父、故リッチ・キャッセリの願いだったろうし、また、ISDEの参戦に取り組んできたアメリカの関係者たちの功績だ。ぼくは、同じ「ヨーロッパ外」の国のライダーとして、USトロフィチームを尊敬し、憧れ、応援している。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中